三十路手前の失踪者

失踪経験のある私がその時のことや自分好きなことをブログにしています。

三十路手前の失踪者【1日目ー③】

15時過ぎ、私は家に連絡することにした。
スマホは家に置いてきたので公衆電話を探して、そこからかけた。
怒られるだろうか?それとも泣かれるだろうか?受話器を持つ手は震えるが家の番号のダイアルを押した。そして数回コールしたあと母が電話に出た。
電話に出た母の声は私の予想と反して落ち着いた声をしていた。そうして私が謝るより先に母は大丈夫だから戻ってきて、迎えにいくから。と言ってくれた。
だけど私はゴメンと謝るばかりで他は何も言えなかった。母は私がどこにいるか気になって何度か聞いていたが答えることはしなかった。まだ沖縄を離れてはいないが今から沖縄を離れようとしているなんて言えるわけなかった。
私はまた連絡するからと言って半ば強引に電話を切ろうとして母は必ず連絡はしてねと言い残して私は電話を切ったのだった…

落ち着いた声と書いたが内心は私のことを心配していただろう。もう帰りたいとすら思った。逃げずにイヤなことははっきり言えたならこんな思いをしなくて済んだし余計な心配をかけることもなかった。それでも私は逃げることしか出来ない人間なのだ。迷いは残っているが空港までは行くことにした。

16時過ぎ、那覇空港に到着した。19時過ぎに出発予定なので考える時間はまだ残っている、あれこれ考えているがどうにも決断できない。それに朝からほとんど何も食べていないので頭が働かなくなっていた、まずは何か食べることにした。
一応家からソイジョイ一本満足バーを持ってきているのでそれらを食べようかと思ったが東京に行くなら非常食は残しておきたいのでまたしても試食できるものを探した。
那覇空港のおみやげ売り場は試食できるお菓子が多かったので多少は満たすことができた。
その後、座れるところを見つけて今一度これからどうするか考えることにした。

東京に行ったらますます心配をかけることになるだろう、帰りの航空券もないので簡単には帰ることはできない、お金のこともチケット代はムダにはなるがそれだけで済む。現在7万円程所持していたがこのお金の半分くらいは月々の支払いのために口座に入れていたお金だ、今回の件で親には金銭面においでも迷惑をかけることになってしまった。せめてこの7万円は持って帰って親に渡すべきだろう。
しかし、もう悩み続けるのは疲れた、こうなったら行けるところまで行ってしまおう、もう迷惑をかけてしまったのだ、この際開き直ってしまおう。
私は大きな鞄を預け搭乗ゲートまで向かっていった、後悔はとっくにしている。もう後悔を東京まで持ち越してやろう!その時の私はヤケになっていた。そうして搭乗の案内が始まったので私は飛行機に乗り込んだ。

自分の席に座った直後、ものすごい不安に襲われた。ここにきて東京に対する知識の無さが怖かった。東京に何があるなんてさっぱりわからないし、羽田に着いたら何に乗ってどこで降りたらいいかすらわかってないのだ。
突発的な考えだったにしてもあまりにも酷い有り様だ。
大声を上げて今からでも降ろしてもらおうかとも思ったが私とは無関係な人達まで迷惑はかけられない。怯えながらも堪えて離陸するのを待った、そしてついに動き出した。
猛スピードで滑走路を走りだし空へと向かった。
何度か飛行機には乗ったことはあるがこんなに不安な気持ちで乗ったことなんてなかったので離陸時の体が浮き上がる感覚になった時は生きた心地はしなかった。その後も機体は揺れますます不安な気持ちになる。私はなんとか不安を取り除きたかったが不安は募るばかりだ。
やがてシートベルト着用のランプが消えて乗客に機内サービスが配られ始めた。私のところにも機内サービスのキットカットとホットコーヒーが配られた、とにかくこれを口にして気を紛らわせることにした。

しばらくすると機内サービスのおかげかは知らないが少し落ち着きを取り戻した。
はっきり言って今の所持金では一週間は持たないだろう、そこでまずは今日泊まれるところを見つけたら所持金が尽きる前に旅行代理店に行き、帰りの航空券を購入しよう、東京に行ったところでなんにもならないことはもう気づいた。私に出来ることはちゃんと家に帰って謝ることだ!
行くアテは相変わらずないままだが、やることが見えてきただけでも変わるものだ。むしろ東京を見て楽しもうとさえ思えてきた、気持ちが移り変わったおかげで着陸時はあまり不安ではなかった。
機体は滑走路で徐々にスピードを落としていった。

21時45分、羽田空港に到着した…

【1日目ー④】に続く…